技術者ワーママ こころとからだの修理日記

技術職のワーママです。初期乳がん見つかったりうつになったり。でも何とか生きてます。

つくり話 隠された街 8

前回の続きです。

 

「佐々木さんこんにちは〜」

アキはドアを開けて部屋に入る。ドアの横にあるボタンを押し、デリバリーで届けられた1人分の昼食を取り出した。ダイニングのテーブルに置く。

「あら、田中さんの奥さん。いつも悪いわねぇ。」

奥の部屋から声が聞こえる。どうやら"田中さんの奥さん"で大丈夫そうだ。お弁当をいつも届けてくれる親切なご近所さんとして認識されているらしい。アキは胸を撫で下ろした。

「いえいえ、ついでですから大丈夫ですよ。今日はお魚の煮付けです。」

奥から女性がゆっくりとした足取りでやってきた。タブレットの情報では佐々木千草さん、85歳。この部屋のある建物は認知症の症状を持つ人たちが入居者しており、その生活のサポートをするのが仕事だ。

「そういえば浩一はどこかしら?まだ帰ってないみたいだけど。」

そのまま玄関から外に出ようとする千草にアキは慌てて声をかける。

「佐々木さん、浩一くんはまだ学校じゃないかしら。今何年生でしたっけ?」

玄関で千草は立ち止まると、

「そうね、まだ学校かしら…6年生なのよ、もうすぐ中学生で。」

と笑顔になる。アキは相槌を打ちながらタブレットを操作し、彼女をダイニングに座らせた。

「じゃあ、ご飯食べて待ってましょうね。浩一くん、きっと給食食べて帰ってきますから。あと、佐々木さん、よく見えるようにメガネかけましょうね。」

千草が椅子に腰掛けると、彼女の頭にゴーグルをつけ、お弁当の蓋を開けて食べるように促した。千草はまだ落ち着かない様子だ。アキはタブレットの画面をタップすると、玄関のドアを少し開いた。ドアの隙間からランドセルを背負った男の子が入って来た。実際には千草の息子はもう60代だが、幼い頃の写真から作ったアバターだ。

「お母さん、ただいま〜」

千草の顔がパッと明るくなった。

「浩一、おかえり!今からご飯食べるのよ、食べる?」

と声をかける。

「えぇ〜、学校で給食食べたばかりだから、大丈夫だよ。」

と言いながらランドセルを放り投げると、

「じゃあ友達と遊んで来る!行ってきます!」

と言うと、また玄関に戻って行った。

「コラっ、ランドセル投げちゃダメって言ってるでしょ!」

少し嬉しそうに叱る千草に、はぁーい、と返事をすると、浩一はアキが開けたドアの隙間から消えて行った。これで食事の間は落ち着いてくれるだろう。

「ついこの間までベッタリだったのに。お友達とすぐに遊びに出かけちゃうのよね〜。さて、私もご飯食べようかしら。田中さんはもう食べたの?」

ええ、お気遣いなく、とアキが答えると、千草はいただきます、と手を合わせた。自分でスプーンを使って食べているのを確認しながら、アキは昆布茶を淹れて冷まし、お弁当の脇に置く。

「佐々木さん、良かったら頂き物の昆布茶を淹れたので後でこちらもいかがですか?結構美味しいんですよ。」

あら、ありがとう、と千草は言うと、浩一の話を始めた。小さい頃夜中に熱を出して病院に駆け込んだ話、自転車で転んで大怪我をして帰ってきた話。アキは話を合わせながら、タイミングを見て千草に食事を食べさせる。今日は機嫌良く食事を完食したし調子は良さそうだ。アキは弁当の容器とコップを洗うと、玄関の脇にある回収ケースにそれらを入れる。夕食と入替で配送ロボットが回収してくれるのだ。

 

食事が終わった千草に、歯磨きとトイレを促す。渋った時も浩一の話をすると機嫌良く済ませてくれた。これでしばらくはオートモードで対応できそうだ。

「佐々木さん、少し寝室でゆっくりお話ししましょうか?お疲れなら横になってもいいですし。」

アキは千草を奥の部屋まで連れて行くと、ベッドに座らせた。タブレットの画面をタップすると、"田中さんの奥さん"のアバターが現れ、千草と話し始めた。千草が寝るまでの間、話し相手になってくれるはずだ。

アキは千草に気づかれないようにドアをそっと閉めて部屋から出た。

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