技術者ワーママ こころとからだの修理日記

技術職のワーママです。初期乳がん見つかったりうつになったり。でも何とか生きてます。

無理をすると結局自分に返ってくる①

昨日のお話に引き続き、がん友さんとのお話です。

 昨日の記事はこちら↓

がんの再発だけが敵じゃない - 技術者ワーママ からだの修理日記

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頑張りすぎてがん

私が乳がんになっていることが発覚したのは3年ほど前なのですが、実はその前の2年間はかなり無理をしていました。具体的には下の3つが同時期に来ました。

 ・発達遅れのある我が子の小学校就学問題(支援級と普通級の選択、療育、放課後の

  居場所の確保など)

 ・二つの仕事の立ち上げと業務上のトラブル大量発生への対処(この時も上司が二人

  いたのですが、二人ともいい方だったのでうつにはなりませんでした)

 ・夫が職場でパワハラでうつ(パニック障害)発症→休職

子供の就学

子供の話はいわゆる「小1の壁」なのですが、支援級の子供の場合、壁の高さが半端ありません。登下校もしばらく付き添いが必要で、支援級だけの行事も、保護者の参加が必要な場合が多いです。残念なことに、子供を支援級に通わせたことで仕事が続けられなくなってお母さんが辞めてしまうという話はよく聞きます。もちろん子供の事を考えての話ではあるのですが、経済的にはもちろん続けられるに越したことはありません。

私は職場の在宅勤務やフレックスタイムをフル活用しながら、何とか会社を辞めずに済むようなタイムスケジュールを組みました。学童や児童デイによる療育を探して就学前から見学や申し込みをしました。年休やフレックスでなんとか時間を作って、学童の見学や区役所や療育センターなどに通って情報を集めました(この手の情報はなぜか直接行かないと入手できないのです)。小1の時点で月曜日から金曜日まで3か所の居場所を確保できた時には心底ほっとしました。

仕事

この時期は当時関わっていたプロジェクトが急に終わってしまい、自分で立ち上げた仕事と、突然畑違いの仕事を「キミナラ多分大丈夫」と根拠なくねじ込まれるあるあるでてんやわんやでした。しかも業務の受け渡し先が後出しじゃんけん的に色々追加注文を増やしてくるあるあるで揉めること揉めること。向こうの若手が途中でいなくなりました。上司は理解のある方々だったので、仕事はしやすかったのですが、他部署との板挟みにあったり、仕事終わんなかったりで結構夫に家の事をやってもらってました。。

夫の休職

私が忙しかったことも一因かもしれませんが、夫は夫で職場が荒れておりました。些細なきっかけで社内でも有名なパワハラ上司のターゲットになってしまい、半年後にパニック状態で帰宅し、後日うつ病と診断が下りました。その時は私も上司に事情を説明して病院に付き添ったり、休職手続きを代わりにしたりとバタバタしてました。

無理しちゃダメ、という警告なのかも

正直夫が休職になった時はショックが大きかったです。が、傷病手当もあるし、考えようによっては家にいてくれれば子供の放課後問題も解決するので私がちゃんと働いて時期が来るまで家計を支えればいいやと気持ちを切り替えました。

 が、その後にIDカードホルダーが突然壊れ、さらに乳がんがみつかったときに

「あぁ、やっぱり無理すると体にサインが出るんだ」

と直感的に思いました。がん友さんにも「無理しすぎてたんだと思うよ」と言われました。「よくもまぁこんだけ色々重なったよね、何なんだろうね」と。

 あと、全くの偶然なのですが、今の職場で一番お世話になった昔の上司が、私が乳がんの手術で入院する前日に退職を知らされるという出来事がありました。その方から、「君はちゃんと管理職としてこの会社で生き残っていけると期待しているから頑張って」とメッセージをいただきました。上手く言えませんが、その時、もう私は小娘などではないのだから、自分の足でしっかり立って、自分の仕事も含め自分で主導権を持ってどう生きていくのか決めなさい、と言われた気がしたのです。がんの全摘をすることで、今まで溜め込んでいたものを取ってもらえるように思いました。

 このことで、その後の自分の在り方に影響があったと思っています。

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