技術者ワーママ こころとからだの修理日記

技術職のワーママです。初期乳がん見つかったりうつになったり。でも何とか生きてます。

ベランダの少女③

前回からの続きです。

 

私はスマホを置いて、台所に向かった。小さなトレーにお皿を置いて、その上にバターロールを2つ乗せる。あとは小さなペットボトルの水はフタを外し、ストロー付きのフタに付け替える。あとはゼリー飲料。一度フタを開けて、こぼれない程度にしめる。

お母さんには直接食べ物をあげてることは話してない。でも必ず切らさないように買ってきてくれている。多分気づいてるんだろう。

トレーを持って部屋に戻った。隣は静かだ。そっとベランダを覗くと、仕切りの下に小さな手が見えた。彼女からの"いまだいじょうぶ"のサイン。

スマホを手に取った。

-(今からベランダに出るね。出たらスマホ渡せばいい?)

[うん、お願い]-

スマホをトレーに置き、音を立てないようにそっとベランダの窓を開ける。小さな手がピクリと動いた。

ゆっくりとトレーを持ってベランダに出た。隣に聞こえないよう小さな声で話しかける。

≪今大丈夫?≫

<うん、酔っ払って寝てるみたい>

小さな声が返ってきた。

≪そっか。これ、差し入れ。≫

トレーを仕切りの下の隙間から少しずつ隣に滑らせた。半分くらい入ったところで止める。彼女は部屋からトレーが見えないように背中を窓側に向けて座っている。

<ありがとう、おねえちゃん。>

ゼリー飲料を手に取った。音を立てないように飲んでいるはずなのに、あっという間に飲み終わったラミネートの袋をトレーに置いた。ふぅ、と小さく息をつくのが聞こえる。次は水のペットボトルをとバターロールを取る。彼女がどうやって音を立てずに食べているのかは仕切りで見えないからわからない。でも、あっという間に空になって戻ってきた。

<ごちそうさまでした>

≪おかわり、たべる?≫

<ううん、これ以上はトイレ行きたくなるから、だいじょうぶ>

こんな言葉を聞くと、仕切りを突き破って彼女を助けだせないか、と思う。ウチのお母さんはやめろって言ってるけど、本当は助けたいとも思ってるんじゃないか。

でも…今はこれに賭けてみよう。スマホのチャット画面を表示し

-(今、アイちゃんに渡すね)

と入力した。

[了解]-

と表示した後、画面が切り替わった。

絵本に出てくるようなカラフルな部屋のイラストの中に

『シュガーとソルトのへや』

と書かれている。本当だったんだ、とちょっと驚いた。スマホをトレーに置いて声をかける。

≪アイちゃん、この間話してた、『シュガーとソルトのへや』見つけたよ。おねえちゃんのスマホ貸してあげるから、入ってみて≫

彼女はハッと息をのんだ。そっとスマホに手を伸ばす。

<…やっと会えた…>

彼女はそう呟くとスマホを手に取った。様子は見えないがチャットか何かをしてるんだろう、嬉しそうに小さい声が漏れてくる。聞こえないと思うけど、少しヒヤヒヤした。

 仕切り板の隙間から、体育座りでスマホを部屋の中から見えないように隠している様子が見えた。私のお下がりのスカートから細い足がのぞいていた。私はトレーをゆっくり引いて、うちのベランダ側に戻した。

 夢中でスマホに触る彼女の気配を感じながら、外の景色を眺める。もうすぐ夏休みになるこの時期は、遅い時間まで明るい。まだ数時間はスマホの画面が目立つことはないだろう。閑静な住宅街、特に目につくものもない。彼女はいつもどんな思いでこの景色を見ているのだろう。今日はいつ部屋に入れるのだろうか。ぼんやり眺めながら、彼女の気が済むのをベランダで待った。

 空が赤く染まり始めた頃、

≪おねえちゃん、ありがとう≫

とスマホが下から差し出された。

<もう終わった?楽しかった?>

≪…うん…すごく…楽しかった≫

彼女は呟くように答えた。

スマホを受け取ろうと手を出すと、彼女はスマホを私の手に置くとの小さい手で私の手を包むように握った。

<どうしたの、アイちゃん?>

≪うん…おねえちゃん、アイ、もう大丈夫だよ。ありがとう≫

<どういたしまして。また貸して欲しかったら教えてね>

≪うん≫

彼女はそっと手を離した。

<他に欲しいものある?のど、乾いてない?>

≪もう大丈夫≫

<じゃあ、おねえちゃん、お部屋戻るね、またね>

≪うん、バイバイ≫

小さく下から手を振る彼女を見て、トレーを持ってそっと部屋に戻った。

音を立てないよう窓を閉める。ロックはかけていない。不用心かもしれないが、万が一彼女がベランダからこっちに逃げてきたときに入れるようにしておきたいのだ。私が部屋にいれば助けてあげられるはずだ。

部屋に戻ってスマホを見る。チャット画面に戻っていた。まだシュガーとは話せるらしい。

チャット画面に入力する。

-(もう終わったの?)

[うん、終わったよ]-

-(何話したの?)

[お友達になるためのお話。

ハルカさん、アイちゃんはもう大丈夫。安心して]-

-(助けてもらえるの?)

[もし、大丈夫じゃなかったら、また私呼んでくれる?]-

-(大丈夫じゃない状態って、どんなのよ?)

[まぁ、なったら分かるよ]-

-(何それ)

[じゃ、もう用事済んだから、この辺で。じゃあね]-

-(ちょっとちゃんと説明してよ!)

[バイバイ]-

チャット画面から見慣れたホーム画面に切り替わった。

「あっ、ちょっとシュガー!」

思わず口にしてあわててスマホを確認する。チャット画面は完全に消えてる。シュガーとソルトの部屋も。スマホのAIに聞いても知らないと言われる。さっきは出てきたのに。虐待やいじめの質問をしたら、

『虐待は絶対に許されません、もし困っていたら相談してみましょう』

とサポートセンターのフリーダイヤルの番号が表示された。

 シュガーは向こうが必要だと思った時にしかでてこないらしい。今日は諦めよう。

スマホを充電スタンドに置いて台所にトレーを片付けに行った。お皿を洗って食器棚にしまっておく。

 部屋に戻ってベッドに寝転がった。

都市伝説ではなくて、やっぱり本当にあるんだ…それにしても、どんなやり取りがあったんだろう。気になるけど、ベランダで話すには危険な気がする。シュガーが教えてくれる雰囲気はないし、アイちゃんが助けられたら聞いてみよう…

その時は全く分かってなかったのだ。

 

そして翌日、アイちゃんは姿を消した。

 

 

 

 

ーあれから十数年ー

私はアイちゃんと一緒に仕事をしている。

彼女には、「ハルカさんは恩人の一人」と言われている。彼女は自分と同じような子供達を一人でも減らしたいのだそうだ。私もそうなればいいと願っている。

 

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